エッセイ

まだこんなに美味しいものがあったのか〜と感じる幸せ

美味しいもの

画像はイメージです。 Photo by Photo AC

 
 食べることが好きだ。だが、グルメという訳でもない。
だから、どこどこの店が美味しいとかテレビやネットで紹介されたからといって、「じゃあ行ってみよう!」とすぐさま行動に出るわけではない。珍しい高級食材や一流シェフの料理だから、という理由で飛びつくわけでもない。

 だが、食べることへの執着はある。それは、自分好みの味と出会い、幸せを感じた時だ。
最初のひと口から、素早く脳が反応する。きらきら輝く世界、真っ白いふんわり雲の上に乗っかった気分。そんな風に、幸せホルモンがお仕事をしてくれるのだ。

 うーん、幸福感!  そういった出会いが、これまでに幾度となくあった。

 
 そんな中でも、いまだに強く心に残っている一品がある。香港の庶民的食堂で食べた雲呑撈麺(ロウミン ∶ 汁無し麺)だ。
尖沙咀(チムサーチョイ)にある店だが、外国人ツアー客が入る感じのレストランではない。地元住民ばかりで賑わう店だ。私が訪れた日も、地元客で溢れていた。そのため、合席となった。

 香港人ご家族と同席させていただいたのだが、ひとつのテーブルに父母息子娘、その中に全く他人の私。でも、もしかしたら傍から見たら、私もこの家族の一員に見えるのかな、などと考えながら、メニューを手にとった。
 なかなか種類が充実している。だが、私には少々の問題があった。広東語は多少話すことが出来る。しかし、圧倒的単語力不足だ。初めて見るような料理名も、たくさん書かれていたのだ。とにかく失敗は避けたい。ここで冒険はしなくていい。 食べたいもの、美味しいものが食べたいだけだ。 
 そこで、知っているものや間違えずに発音出来る料理を選ぶことにした。

 それが、雲呑撈麺だった。

 しばらくすると、料理を持った従業員が、こちらのテーブルへ向かって来た。だが、先に運ばれてきたのは、合席をしているご家族が注文した品だった。

 (あー、美味しそう!) 鶏の甘辛揚げだろうか。大皿に乗ったチキンを、一家でシェアしながら黙々と召し上がっている。先ほどまで賑やかにお喋りをしていたのに一気に話をやめ、食べることだけに集中しているようだ。急いでいらっしゃるのだろうか。それとも、それほど美味しくて夢中になっているとういうことなのだろうか。
 私は失礼にも、そんな観察をしていた。気づかれないよう、うつむき加減で、時々ちらりちらりと視界に入れていた。
 あぁ、あれも食べたかったなぁ。そして、こんな言葉がよぎっていた。

 「余ったので、良かったらおひとつどうですか?」などと分けてもらえたりしないだろか。
 …いやいや、そんなことを想像するだけでもハシタナイ。

 そうこうしているうちに、私の目の前にも、お目当ての料理がやってきた。

おー、これが香港の雲呑撈麺だ!!

 想像していたよりも雲呑がたっぷりと乗っている。これは、嬉しい! 早く雲呑を食べたいが、まずは一緒に届いたスープをひと口すすってみる。うん、想像していたより、あっさりとした味わいだ。

 では、次に麺。 蓮華からお箸に持ち替え、麺を口にしてみる。
 お! ちょうどいい茹で加減だし味も良い。ん~、すごく美味しい!

 それでは、主役の雲呑にいってみようか。
私は期待しながら雲呑ひとつを掴み、口へと運んだ。

…ん‼

 あ~、その瞬間、私は幸せを感じた。

 世の中に、まだこんな美味しいものがあったのかー! 

 
 そう、これが生きていて良かったと思える瞬間でもある。こういう出会いは、そうそうあるものではない。もちろん、普段から美味しいと思う食べ物はたくさんある。だが、これほど幸せを堪能させてくれる1品に出会うのは、何年かに1度、いや10年だか20年に出会うかどうかのものだ。それほど、私を魅了させるのだ。

 だが、こういう1品に限って、同じものを食べることさえ難しい時が多い。遠くて、なかなか行けないとか、既にその店がなくなってしまったりしているからだ。そして、気持ちだけがそこに執着してしまうことになる。


 食べたい、食べたい、食べたい! 

すぐにでも食べに行きたい! こちらから一方的にラブコールを送っている気がする。まるで片思いのようだ。

 
 いつかまた、行ける日が来たらきっと行く。 あの雲呑撈麺を訪ねて…