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先日、香港の食堂での話をしたが、その流れで別の店での面白勘違い話をしよう。
暑かった日のことだ。私は油麻地の街をひとりぶらぶらと歩いていた。喉が渇く。冷たい飲物で潤したい。そう思って、細い路地にある一見屋台のようにも見える店に入った。
厨房だけは奥の建物内にある。だがテーブル席は、外に二つ並んでいるだけの小さな店だった。そこにお客はいない。見えたのは、香港のドタバタ映画に出てくるような三枚目役者風の人物だ。
店主らしきその人物が、私に気づいた。私は、軽く会釈をしながら、背もたれのない椅子に腰掛けた。
隣の敷地との境目に、板1枚のツイ立てが壁のように立てかけられている。その板に、手書きのメニューが貼られていた。メニューといっても、珈琲、紅茶、かき氷、あるのはそれだけである。
元々コーヒー好きの私は、迷わずコーヒーを注文した。店主は、奥にいるらしき人物(厨房担当だろうか)にオーダーを伝えると、すぐに戻ってきた。
そして、「どこから来たの?」「広東省から?」「観光?」一気に質問が飛んで来た。「日本から遊びに来た」と答えると、「日本人!?」と何やらちょっと驚いていた様子だ。すると、ますます興味を持ったのか質問攻めになった。
香港に観光で来る日本人は、英語を使う人が多いのだろう。或いは中国語だろうか。だから、広東語を話す日本人観光客が珍しかったようだ。それに加え、女ひとりで屋台風な店で休憩をする人もそうそう見ないらしい。
こういう風景、私は好きだ。近所の人たちが憩うような場所、そこでこんな風に店主と話が出来るのは嬉しい。そもそも私が広東語の学習を始めたのも、香港映画に嵌ったことがきっかけだ。子どもの頃からクンフーものが好きで憧れていた。だから、映画にでてくるような場面を自分で体験できるのは嬉しい話だ。
だが、ここでちょっとしたミステイクも起きていた。店主が奥の方の声に呼ばれ、いったん厨房へ向かった時のこと、これが後の失敗に繋がるわけである。
店主が厨房のほうから顔だけ出して、何かを言ってきたのだ。しかし、その時の声がよく聞こえず、私は思わず「えっ!?」と聞き返しの反応をしてしまった。
だが彼は、それを聞くと何も言わず、再び厨房の中に姿を消して行った。
しばらくすると、片手にコーヒーカップを持った店主がこちらへ向かってきた。そのカップからは、並々と注がれたホットコーヒーが今にもこぼれ出しそうだった。
いや、既に少しこぼしたな。歩いて来る途中、カップの中からちょこっと逃げ出したコーヒーを私は目撃してしまった。そして、そのカップは目の前でカタンと置かれていった。そこでまた少々こぼれた。カップの下にある皿のほうがコーヒーで濡れている。それでも、まだカップにはたっぷりと入っていた。
こんなにカップ満たんのホットコーヒーを見たのは初めてだ。たとえば、クリームが乗っていたり、ミルクたっぷり系のアレンジコーヒーならわかる。だが、素のコーヒーだけ、ただのホットブラックがこんなふうに出てくるとは…私は可笑しくて吹き出しそうになるのをこらえた。
いや、笑うところではない。私もこぼさずにカップを持ち上げられるだろうか。これは、もしや…カップをテーブルに置いたまま、猫のように舐める感じか!?
いやいや、いくらなんでもそれはやりたくない。私は神経を集中した。そして、カップをゆっくりと少しだけ持ち上げて顔のほうを近づける。 なんとか、すすりながら飲んでいった。
こうして、無事にコーヒーを飲み終わり、私は店を後にしたのだ。
だが、ちょっと残念だったことがある。それは、暑くて喉が乾いていたので、実はアイスコーヒーが飲みたかったのだ。
どこでミスをした? アイスがいいと伝えるのを忘れてしまった!?
……後から思い起こした時、気づいたことがあった。
あ、あの時だ! 店主が奥から顔だけ出して、何かを言ってきた時!
よく聞こえなくて、私は反射的に日本語の「えっ!?」で聞き返してしまった!
あの時、もしかしたら「ホットにするか?アイスにするか?」を尋ねてきたのではないだろうか?
広東語で「熱い」は「熱〈イッ〉」と発音される。 「熱」と「え?」
〈いっ〉と「えっ!?」
私の反射的に飛び出した「え!?」が、広東語の〈イッ〉と聞き間違えられたのではないか?
なるほど、それで熱いコーヒーが出てきたわけだ! それなら合点がいく。
私は、そんな自己解決に可笑しさを感じながら、暑い香港の路地をまた歩いて行った。