日本語が広東語に!?
先日、香港の食堂での話をしたが、その流れで別の店でやらかした勘違い話をしよう。

画像は記事の店とは関係ありません(Photo by Photo AC)
暑かった日のことだ。私は油麻地の街をひとりぶらぶらと歩いていた。熱を帯びた空気の中、たまらなく喉が渇いてきた。冷たい飲物で早く潤したい。そう思っていると、細い路地にある一見屋台のようにも見える小さな店が目に入った。
厨房は建物内にあるが、飲食可能な席は中にはない。外に小さいテーブルと椅子がちょこっと置いてあるだけだ。お洒落な言い方をすればテラスカフェなのかもしれない。 だが、見た目は昔の香港映画によく登場する喧嘩シーンにあるような場所だ。私は、とにかく早く何か飲みたくて、その店の前で立ち止まった。
そこにお客の姿はなかった。見えたのは、店の主人のような人物が建物の入り口で新聞を眺めていた。白のタンクトップに短パンを履いた40代ぐらいの男性だ。小柄だが腕についた筋肉が頼もしい。ヘアスタイルは、ちりちりっとした雷様のようだ。
それこそ香港ドタバタ映画に出てくる店主のような雰囲気を持っていた。
カンフー映画好きの私にとって、それは嬉しい! すぐさま、その世界観に浸りたい思いがこみ上げてきた。
店主らしき人物が私に気づくと「どうぞ」という感じで手招きをしてきた。私は軽く会釈をしながら、背もたれのない丸椅子に腰かけた。
隣の敷地との境目に、板1枚がツイ立てのように立っている。その板に、手書きのメニューが貼られていた。メニューといっても、珈琲、紅茶、かき氷、書かれているのはそんな程度である。
元々コーヒー好きの私は、迷わずコーヒーを注文した。
店主は、奥にいるらしき人物(厨房担当だろうか)に私のオーダーを伝えると、すぐにこちらに戻ってきて話しかけてきた。
「どこから来たの?」「広東省から?」「観光?」現地の言葉で質問が飛んで来た。私も広東語で「日本から遊びに来た」と答えると、「えっ?日本人!?」と何やらちょっと驚いていた様子だ。すると、ますます興味を持ったのかその後も次々と質問攻めにあった。
香港に観光で来る日本人は、やはり英語を使う人が多いようだ。或いは中国語だろうか。広東語を話す日本人観光客が珍しかったようだ。(今でこそ広東語学習教材は豊富にあるけれど当時はなく、私も最初は英語版のテキストを使って広東語を学んだ一人だ。後々には教室を見つけて通えるようになったが…)
下手とはいえ広東語を話す日本人ということに加え、こんな感じの店に女ひとりで入ってくることはそうそうないらしい。なので、興味を持たれ色々と質問をしてきたのだ。
こういう風景、私は好きだ。近所の人たちが憩うような場所、そこでこんな風に店主と話が出来るのは嬉しい。そもそも私が広東語に興味を持ったのも、香港映画に嵌ったからだ。子どもの頃、ブルース・リーがきっかけでクンフーものが好きになり憧れていた。だから、映画にでてくるようなワンシーンを体験できるなんて本当に嬉しいことなのだ。
しかし、ここでちょっとしたミステイクが起きていた。店主が厨房にいる人の声に呼ばれた。向こうで何かを話していたかと思うと、今度は入口のほうからちょこっと顔だけ出し、私に何かを話しかけてきた。しかし、その声がよく聞こえず何を言ったのか分からなかった。 私は思わず「えっ!?」と、日本語で聞き返してしまった。
だが彼は、それを聞くと何も言わず、再び厨房の中に姿を消して行ったのだ。
しばらくすると、中から店主が出てきてこちらへ向かってきた。手には、ソーサー付きのコーヒーカップを持っている。そのカップからは、並々と注がれたホットコーヒーが今にもあふれ出しそうだった。
あ、少しこぼされたな… 歩いて来る途中、揺れた勢いでカップから外にちょこっと流れ出た姿を目撃してしまった。そして、そのカップは目の前でカタンと置かれた。その瞬間に、またちょこっとこぼれ出た。カップの下にあるお皿までがコーヒーに浸っている(笑)。だが、それでもまだまだカップの中に充分すぎる量が入っている。
こんなにカップ満たんのホットコーヒーを見たのは初めてだ。たとえば、クリームが乗っていたり、ミルクたっぷり系のアレンジコーヒーならわかる。だが、素のコーヒーだけ、ただのホットブラックがこんなふうに出てくるとは…私は可笑しくて吹き出しそうになるのをこらえた。
いや、笑うところではない。私もこぼさずにカップを持ち上げられるだろうか。これは、もしや…カップをテーブルに置いたまま、猫のように舐める感じか!?
いやいや、いくらなんでもそれはやりたくない。私は神経を集中した。そして、カップをゆっくりと少しだけ持ち上げ顔のほうを近づけた。 すると、なんとかすすりながら飲むことに成功した。
こうして、無事にコーヒーを飲み終わり、私は店を後にしたのだ。
だが、ちょっと残念だったことがある。暑くて喉が乾いていたので、実はアイスコーヒーが飲みたかったのだ。
どこでミスをした? アイスが欲しいと伝えるのを忘れてしまった!?
……思い起こした時、気づいたことがあった。
あ、あの時だ!
店主が厨房から顔だけ出して、何かを言ってきた時!
私はあの時の言葉がよく聞こえなくて、反射的に日本語の「えっ!?」で聞き返してしまった!
あの時、もしかしたら「ホットにするか?アイスにするか?」を尋ねてきたのではないだろうか?
広東語で「熱い」は「熱〈イッ〉」と発音される。 「熱」と「えっ?」
〈イッ!〉と「エッ!?」
私の反射的に飛び出した「え!?」が、広東語の〈イッ〉と思われ、誤解されたのではないだろうか?
なるほど、それなら合点がいく。それで熱いコーヒーが出てきたわけだ!
私は、そんな自己解決に可笑しさを感じながら、暑い香港の路地をまた歩いて行った。